twitterなどを閲覧していますと、割り算の教育法に関して時たま「等分除や包含除などというものはない。割り算は1つだけ。かけ算の逆演算に過ぎない」という意見を見かけます。
このような意見の背景には恐らく「かけ算順序問題」という別の大きな問題が横たわっていて、等分除・包含除は副次的に出てきているものだと思います。「かけ算順序問題」についてはまた別の機会に書きたいと思いますが、今回の記事で述べておきたいのは
かけ算の順序を固定する指導は間違っている
→だから(そこにつながりやすい)等分除・包含除も悪
という考え方はちょっと行きすぎではないかな?ということです。
等分除・包含除とは
最初に例を用いてまとめておきます。
等分除: ○個の物を△人で分けると、1人あたり何個? → ○÷△
包含除: ○個の物を□個ずつ分けると、何人に分けられる? → ○÷□
このように割り算の中にも2種類があるとする考え方のことです。
ちなみにどちらもかけ算で表すと同じ式になります。
全体の個数 ○個
分ける人数 △人
1人あたりの個数 □個
とすると、「○ = □×△」となります(ここで□を前に書くか△を前に書くか・・・という方向に行くとかけ算順序問題の沼にはまるのですが今回はそっちには行きません)。
等分除・包含除不要論とは
★このセクションは私が思っていた「等分除・包含除不要論」について述べていますが、もしかするとその認識は誤っていたかもしれません(いただいたコメントからの推察です)。ただしその場合も次のセクション以降の意見は特に変わりません。★
「等分除・包含除という言葉が指す2つの事象は、最終的には同じ事象を指すのだから、区別すべきではない(区別などない)」という意見が「等分除・包含除不要論」だと思います。
例えばこんな感じでしょうか。
等分除: 12個の物を3人で分けると、1人あたり4個 (12÷3=4)
包含除: 12個の物を4個ずつ分けると、3人に分けられる (12÷4=3)
当然、これは2つとも同じ図で表すことができます。
|○○○○|○○○○|○○○○|←3等分した
|○○○○|○○○○|○○○○|←4個ずつ分けた
同じ図で表すことができるから(というよりも同じ事象なので)、この2つの割り算を区別しなくてもよい、または区別すべきではないという意見なんだろうなと思います。
頭の中は違うのではないか
ここまでまず不要論者の意見を(想像しながら)まとめてみて、確かに等分除も包含除も一緒だな!と妙に納得してしまいました。
ただ、私自身は「等分除・包含除」という区別は「ある」と感じています。
割り算は気象の勉強をしているときにも少し登場しますが、例えば気体の状態方程式を用いる際に、気体の質量・物質量・分子量を用いて式変形をする場合があります。
(例1)「分子量Mの気体がw[g]ある。物質量は何molか?」を考えるとき、私の頭の中はこんな風に動きます。
分子量Mというのは1molでM[g]ということだから、物質量を求めるためには「wの中にMがいくつ含まれるか」を求めればいいな。ということは「÷M」という計算をすればいいな。
(例2)「n[mol]の気体の質量がw[g]である。分子量はいくらか?」を考えるときは、次のように頭が動きます。
分子量というのは1molのグラムのことだから、分子量を求めるためには「wをn等分」しないといけないな。ということは「÷n」という計算をすればいいな。
上に挙げた例は内心では整数で割りきれるような数値を想像しながら考えてはいるのですが、一応文字で表してみました。このように私の頭の中では、割り算を呼び出すためのきっかけが2種類あるように思うのです。図で表せばどちらも同じことになるのは分かっていますが、割り算を呼び出す前にいちいち図を思い浮かべてはいないのです。「等分するから割り算しよう」「何回含まれるか知りたいから割り算しよう」という風に考えていると思います。
そんなわけで、割り算は1種類だ!という言説に対しては
「本質的に同じであることは重々理解するが、割り算を呼び出す際の頭の動きは2種類あると思う」
という風に個人的には考えています。
ちなみに2種類と書きましたが実際はもう少しあるように思いまして、「割合1に相当する量」を求めるという動機でも割り算をするような気がしますね。だから3種類か、もしかしたらもう少しあるかもしれません。繰り返しますが、これらの割り算が最終的には同じことを表すであろうことには異論はないのです。ですが「割り算をしよう」と思い立つきっかけ部分が数種類あり、そのうちの2つに等分除と包含除という風に名前がついているのではないか、と思っています。
インターネットを巡っていますと、どうも「等分除」とか「包含除」という語を口にするだけで思想警察が寄ってくるような印象を若干受けるのですが(個人の印象です)、自分が思っていることをそっと書き留めておきます。
コメント
失礼します。
>同じ図で表すことができるから(というよりも同じ事象なので)、この2つの割り算を区別しなくてもよい、または区別すべきではないという意見なんだろうなと思います。
違います。12÷3と12÷4で式がそもそも違っています。
等分除の問題とされる「12個の蜜柑を4人に分けると1人何個か?」各自に1個ずつ配ると4個、これを繰り返すと何回配ると蜜柑がなくなるか、とすれば、12個は4個の何個分かという包含除となります。
個人が頭の中でどう考えようと自由です。「わり算には等分除と包含除という異なる意味があり、子どもにこれを区別させる」という教え方が問題になっているのです。
掛け算の順序の派生ではなく、算数教育自体がおかしくなっていて、その例として掛け算の順序や等分除と包含除、足し算の増加と合併などがあるのです。
なるほど!私が想像していた問題点と、ご指摘されている問題点が違うということが分かりました。ありがとうございます。
思想警察がさっそくやってきたようです。
割り算に限りませんが、小学生は四則演算を、理論的に説明されても理解できません。やりは、身近な状況や操作と関連付けて説明されてはじめて理解できるのです。割り算は、数人の子どもたちのあいだでキャンディを等しく配るといった、子どもたちの馴染みの状況から説明されます。
具体的な状況では、大抵は、かけ算との関係で言えば、1つ分を求める等分除といくつ分を求める包含除との違いがはっきりしています(ただし、これは、この区別が絶対的な区別だということではありません)。
具体的事例を使った学習によって、等分除的な状況でも、包含除的な状況でも、割り算が使える、ということが、児童にわかるようになるのだと思います。等分除だけしか学ばないと、包含除的な状況で割り算を使うことに気づかないおそれがあります。
距離と速度がわかっているときに時間を求めるとき、距離を速度で割りますが、そのとき、なぜ距離を速度で割るのかを納得するために、包含除で考えるとわかりやすいです。時速30kmは1時間に30km進む距離ですから、距離が30kmなら1時間、2倍の60kmだったら2時間かかります。走る距離に速度の30kmがいくつ入るかが、時間を表しています。
気象学でも、気体の物質量を求める時には包含除で、分子量を求めるときは等分除で考える、とのことです。だとしたら、等分除と包含除は、小学生のときだけでなく、のちのちまで役立つ、ということですね。
確かに気象の勉強をしているとき、本文にも書いたように
「等分するから割り算しよう」
「何回含まれるか知りたいから割り算しよう」
という気持ちで式を書いています。割り算という演算を呼び出すきっかけが私の中には2種類ある、という感じですね。
もしかして「等分除・包含除不要論」というのは、小学生の教育課程に限定した議論なんでしょうかね。あまりそのあたりに深入りする気はないのですが・・・。