「頑張れ」という励ましは酔っ払いオヤジの声援と同じ

ペーパー気象予報士のハルです。勉強進んでますか?

定期的に寒い日がやってきますが、もしかしてこれは蛇行した偏西風に乗って寒気が交互にやってきているのだろうか?などと思うと楽しいですよ。あの例の「ターンテーブルの実験」をイメージして。

さて今日は「頑張れ」というフレーズについて書いてみたいと思います。


頑張れ!って、もう頑張ってるのに!

気象予報士試験のような社会人が受ける試験は外部からのプレッシャーがあまり多くないと思いますが、学生のテスト(例えば中学生・高校生の定期テストとか)は保護者や先生からの圧力が強いのではないかと思います。

悪い点の書かれた成績表を前に

先生「うーん、もう少し数学を頑張らないと

生徒「はい・・・(でも頑張ってるつもりなのに)」

という会話がなされることって、結構多いのではないでしょうか。いや、私の実体験も含んで想像しています。

この会話がなされているとき、先生と生徒で「頑張る」の意味が食い違っているんだと思います。

生徒の側としては

  • 長い時間勉強する
  • 難しい問題を解こうとする
  • 答えをゆっくり読む

などの行為を「頑張る」と主張していますよね(私の実体験ですけどね)。

では先生の側はどういう意味で「頑張る」と言ってるのでしょうか?これは私の推測になりますが、

  • 頑張れ=成績を上げろ

という意味ではないでしょうか?

なぜそう思うようになったかというと、これは私の体験談なのですが、面談の度に「成績が低迷している科目を指さされて『頑張れ』と言われ、成績が前回より上がった科目を指さされて『よく頑張ったな』と言われる」という思い出があるのです。言われている当時は「はい、ごもっとも」と思っていましたが、よく考えるとおかしくないか?と最近思うわけです。

酔っ払いオヤジの声援

ここでふと思いつくのが、スポーツ観戦における酔っ払いオヤジです。

例えば野球を観に行ったときに「コバヤシィ!ホームラン打てよ!」みたいに選手に檄を飛ばすオヤジがいますよね。あれと勉強における「頑張れ」は同じじゃないかと思うわけです。どちらも「プロセスではなくて結果を求めている」という点で。

野球の応援は別にいいんです。お金を払って見に行っているわけだし、選手は観客を楽しませるのが仕事ですから。

でも勉強の指導においてはどうでしょうか。例えば「先生」という立場の人が生徒に「結果だけ求める」ということが許されるのでしょうか?

・・・私はそれは指導者とは呼べない姿勢だと思います。指導者は、「生徒に結果を求める」のではなくて、「生徒が結果につながるプロセスを蓄積できるように介入する」のが仕事ではないでしょうか。異論はあってもいいと思いますが、もし自分の子どもが先生から結果だけを求められてプロセスへのアドバイスを受けていないとしたら、私は授業料を払いたくないですけどね。

よく「すでに頑張っているのに頑張れって言われるのは辛い」ということを聞きますが、それって分析してみると同じことではないのかなとちょっと思います。頑張ってる側は、やり方は悪いかもしれないけれど主観的には頑張っている。でも励ます側は「結果を出してほしい」と思って声を掛ける。片方はプロセスに着目し、もう片方は結果に着目しているから行き違いが生じるんじゃないかなと。

プロセスに着目する

ふつうに生活していると、指導者側の立場に立つこともあるし、生徒側の立場に立つこともありますよね。

「頑張れ」とか「頑張ってる」とか「頑張ってもらいたい」と言いたくなったときにはその言葉を飲み込んで、具体的なプロセスに言い換えてみたらどうだろうか?と思います。

例えば

×「数学を頑張れ」

○「今回のテスト範囲の微分積分の範囲の勉強をし直してみよう」

とか。

でもそうすると「勉強をし直す」とはどういう意味?という疑問が湧いてきますから、例えば「問題集の○○ページから○○ページまでを解いてみて、解けない問題は解答を読んで理解して、もう一度解答を見ずに自分で答えを書いてみよう」とか。

さらにそうすると「理解する」とはどういう状況のことなのか?という疑問が出てきますから、例えば「問題文中の手がかりから、無理のない思考回路で解き方を思いつくことを理解と称する」などと判断基準を設けないといけませんね。

勉強ができるようになるというのは、こういった1つ1つのプロセスを丁寧に積み上げていくということではないかなと最近思うので、ちょっと書いてみました。

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