問題が解けないときに答えを見るかどうか

最近の記事を書く際に勉強法(特に数学とかの)について考えたり調べたりする中で、「数学の問題を解くときに分からなかったらどうすべきか」という意見を結構見かけました。

意見のほとんどは「自力で解けない場合は適当なところで考えるのを切り上げて解答を読みましょう」というものでした。

一方、ウェブ上ではあまり見かけませんでしたが、「解けなくても答えを見てはいけない」という流儀もあるみたいですね。「解けなくても答えを見てはいけないという意見もありますが、それだと非効率です云々~」という意見が多かったように思います。

私も基本的には「答えを見た方がいいのではないか」と思っています(少なくとも大学に入るまでは・・・)。が、分からなければ答えを見ましょう、答えを読んで理解しよう、という論理にも少し不安を覚えます。その辺を少し書き留めておきたいと思います。



そもそもなぜ答えを見るのか

考えて答えを出すためには、恐らく「答えを出すための知識群」があり、かつ「それらの知識をつなげるための思考回路」が必要ですよね。知識群だけあっても思考回路が鍛えられていなかったら答えが出ませんので、「考える」という学習は主に思考回路を鍛えることを期待して行うものと思います。

しかし考える以前に知識群が欠けている場合、あるいは知識群は全て揃っているがそのつなげ方を自分で思いつかない場合は、「考える」という行為をしても永久に答えが出ないということになります。そんな場合は、そもそも永久に考えても答えが出ないわけですから、答えを見るしかないですね。

「このまま考えても答えが出ないな」と見切りを付けるまでの時間についての考えは人ぞれぞれでしょうが、まあ一般的な学力レベルの中高生が出会う問題であれば恐らく5分ぐらいで十分ではないかなと思います。長く見て10分でしょうか。特に根拠はないのですが、このぐらいの時間考えても手が動かない場合は、もう見切りを付けた方がいいのではないかなと思います。

いや!考えるべき!という方は、例えばこの問題を考えてみてください。

$$2^a + 3^b + 1 = 6^c を満たす自然数 (a, b, c) の組を全て求めよ。$$

これは2014年日本数学オリンピック本戦の問題だそうですが、普通の人が1時間や2時間考えたとして、まともな方向性に行きますかね?その2時間を別のことに使った方が問題を解けるようになるのでは?と思ってもいいと思いませんか?

答えを見るとどう勉強になるのか、またはならないか

前述のような理由で答えを見るわけですから、答えを見た結果として

  1. 不足していた知識を覚える
  2. 知識のつなげ方を覚える

の片方または両方ができるようになるといいですよね。というか、前述の通り、現状のままでは永久に答えが出ないと見切りをつけているわけですから、現状を打破しなければ意味ありません。

なのですが・・・私が懸念するのは、答えを見ても「不足していた知識」とか「知識のつなげ方」を理解することができない上に、自分でそのことを自覚できない場合があるのでは?ということなのです。説明できるかどうか不安ですがなんとか説明をしてみます。

例えば・・・高校生の頃に勉強した記憶のある「2次関数の最大・最小」という問題です。例えばベネッセのサイトに例題があります。

$$aは正の定数とする。2次関数y=-x^2+2x (0≦x≦a)の最大値、最小値を求めよ。また、そのときのxの値を求めよ。$$

出典: https://kou.benesse.co.jp/nigate/math/a13m0203.html

この問題を解こうとして考えて分からなかったとしましょう。その場合、答え(上記サイト)を見るわけです。そうすると、この関数のグラフの軸が\(x=1\)で上に凸であるということが書かれてあり、\(a\)の値によって場合分けが始まっています。

なるほど~とこれを読んで、最後まで読み終えたとしましょう。さてこれで何を得ることができるでしょうか?

恐らく、理想的には次のようなことを得るべきなのでしょう。

  1. 2次関数の問題ではまずグラフの形をイメージすべきである(グラフの形とは、軸および上に凸か下に凸か)。
  2. \(a\)の値をいろいろ変えてみると最大・最小の値が変わることが分かるので、\(a\)の値で場合分けを行う。

しかし実際にはこんな風になったりしませんか?

  1. 答えに書いてあったから軸を求める。
  2. 答えに書いてあったから\(a\)で場合分けをしようとするが、\(a\)が1を越えるか越えないかで最大値の場合分けは済むハズなのに、なぜか4つに場合分けされていて四苦八苦する。挙げ句の果てに何か自分なりの訳の分からない理屈をつけて納得する。

この「答えを見る」というのは結構諸刃の剣で、その答えの表現を受容できるようなレベルに自分が達していればいいのですが、そうでない場合は上記の通り「なぜ軸を求めるのか分からないが求める」「なぜ4つに場合分けするのかよく分からないが4つに分ける」という風になりがちです。

末路は・・・

こういう勉強をしても、恐らく問題はある程度解けるようになるんですよね。ここでいう「問題」とは、中高生なら「定期テストの問題」という意味ですが。私の記憶では、しょせん定期テストの問題って、範囲が狭い上に「この問題集の○○番~○○番から多く出します」とか問題まで決まってるから、何となく問題と答えを覚えておけば解けてしまうんですよね。「なぜ4つに場合分けを?」とか考える必要はなくて、「あ、これ見たことある問題だ。確か4つに場合分けするやつだ」みたいに条件反射で解けてしまうわけですよ。

で、問題は(前も書いたような気がしますが)、勉強している側が「自分は4つに場合分けする理由が分かっていないからマズイ」と思わずに「答えが出せるようになったから自分はこの問題は理解したと言える」と誤解してしまう、という点です。

実際にこのように思ってしまうかどうかは分かりません、というか人によるとしか言いようがないでしょう。ただ「答を見る」という学習方法にはこのような弱点があるのではないか、という気がするのです。そしてこの弱点は「定期テスト」などでは発見できないので、気づくのが模試とか入試本番とかになってしまうんじゃないかと(つまり傷が深くなるのではないかと)思うんですよね。

何となく中高の時代を思い出してみると、高校生になって数学ができなくなる人って、実際には中学時代にその片鱗が十分にあって、上記のように「答えを見ながら条件反射を鍛える」というタイプの勉強をしていたような気がします。まあ私の身のまわりの数名の思い出話なので真相は分かりませんが。

正しく勉強できるならば

上記のように不安要素がある「答えを見る」という手法ですが、自分が「正しく勉強できる」という自信がある人ならば、やはり答えを見るのが効率的でいいんじゃないでしょうか。

答えを見た上で、

  1. なぜ軸を求めるのか
  2. なぜそんな風に場合分けをするのか

などと理解していけばいいわけです。ただ、ここの「理解」というのはもしかしたら数学が苦手な人には難しいかもしれませんね。その場合は大人しく学校とか塾の先生に聞くのがいいと思います。人に聞くと負け!とか思ってる人も居そうですが、「聞くは一時の恥」という格言もありますから、むしろ聞いた方がいいんじゃないでしょうか。

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