勉強とは「作業を通して頭の活動をすること」なので「作業」が目的になってはいけない!

ペーパー気象予報士のハルです。

「独学」の一つのデメリットとして「変なやり方をしても修正してもらえないので時間の無駄になることがある」ということを書きました。

独学についてはこちらの記事

ハルは「独学」で気象予報士試験に合格しました。そのメリットデメリットを整理してみました。またその過程で「そもそも独学って何だ?」という疑問に突き当たったので、現在の考えをまとめています。

この「変なやり方」ということについてもう少し思っていることを書いてみたいと思います。


なぜか勉強の成果が出る人・出ない人がいる

勉強にもいろいろな種類がありますが(たとえば「社会勉強」とか)、ここで考えるのは試験勉強の類だとしましょう。気象予報士試験もそうですし、その他の資格試験もそうですし、学校の定期テストも多くはそうでしょう。要するに問題ごとにほぼ解き方が定まっていて、正解も一つに決まっているか、または採点基準があって正答の範囲が決まっているようなものです。

もっと簡単にたとえるなら、中学高校で経験してきたような数学のテストとか英語のテストみたいなものだとしましょう。

そういったテストに備えて勉強するという人生を多くの人は延々と歩むわけですが、同じように時間をかけても成果の出る人、出ない人がいますよね。この差はどこで生まれるのでしょう。

これを「もともと頭のいい人がいる」とか「あの人は数学の素質がある」とか言うことは簡単ですが、それは原因を言っているのではなく、結果を言い換えているだけですね。「自分と同じ時間だけしか勉強していないのに、点数が自分よりもずっと良い」ということを「自分よりあの人は頭がいい」と言い換えているだけです。以下、言い換えリスト(笑)

  • あの人は頭がいい
  • あの人は素質がある
  • あの人は要領がいい
  • あの人はテストに強い
  • あの人は応用力がある
  • 自分は基礎はできるが応用が苦手
  • 自分は国語力がない

こういう「言い換え」ではなくて、実際に何が決め手となって勉強の成果を左右しているのか、漠然とした考えがありますので、文章にしてみます。うまく書けるかな・・・?

勉強とは「頭脳の動かし方を入手すること」

試験勉強のプロセス

テストで問題をきちんと解くためには、問題を見たときに適切に頭の中で情報を処理し(例えば問題文の意味を理解するなど)、適切な解き方を選び、その解き方を実行するという手順が必要です。

この手続きを練習して習得する過程を「試験勉強」と呼ぶのだと思います。

ですから、例えば数学のテスト勉強をするのなら、問題集の問題を読み、「この問題は○○の単元の問題だな」と探索空間を限定し、その狭い探索空間の中から1つ1つ解き方を選んで試してみて、条件に当てはまる解き方を採用して最後まで計算を行う・・・というような手順になるかと思います。

※探索空間という概念についてはこちらの記事をどうぞ

過去問集と単元別問題集のそれぞれの役割について考えました。一般的に想像できる違いの他にも、もうすこし掘り下げてみました。キーワードは探索空間です!

計算は機械的にできてしまう

年齢が上がってくると、問題を解くプロセスにおける「計算」の比重が下がってきます。

例えば小学生にとっては「かけ算を実行する」ということ自体が一仕事で、九九はきちんと覚えているか、繰り上がりは大丈夫か、同じ桁内の足し算はできるか、等のチェックが必要になりますが、中学生以降は「そういうことはできるもの」として問題が作られます。もちろん気象予報士試験も同じです。

中学生以降の計算は最終的には四則演算に帰着するので、最終的な計算は小学校レベルに落ち着く、とも言えます。例えば1次方程式というのは中学で初めて習ったような気がしますが、その計算過程は次のようなものです。

3x + 2 = x + 6
↓(1)
3x – x = 6 -2
↓(2)
2x = 4
↓(3)
x = 2

(1)は単なる移項、(2)は引き算、(3)はわり算を実施しているだけです。(1)は小学生は習わないかもしれませんので「中学生レベルだ」と主張することは構いませんが、所詮は項の符号を逆にして反対の辺に移すだけです。

高校で勉強する微分・積分も、その概念自体は難しいかもしれませんが、実際に行っている計算は最終的には四則演算になっているはずです。例えばf(x)=2x3+5x2を微分するのは次のような手順です。

f(x) = 2x3+5x2
↓(1)
f'(x) = 3・2x2 + 2・5x1
↓(2)
f'(x) = 6x2 + 10x

(1)が微分の操作なのですが、これは手順としては「xの右上に載っている数字を左の方に出し、右上の数字は1減らす」ことをしているだけです。(2)は単なるかけ算です。

ですので、問題演習の過程で次のように考えてしまっても、問題は解けてしまいます。

例:「問題集12ページの問1を解くには、出てきた式をf(x)とおいて微分してイコールゼロとおいてxを求めればいいんだ」

そうすれば、主に四則演算を組み合わせた「計算」を実行すれば答えが出てマルになるというわけです。でも、ここに落とし穴があります。

本来は「適切な解き方を選ぶ」部分を練習すべき

中学生はちょっと違うかもしれませんが、高校生以上が解く数学や理科の問題はもはや「計算はできるもの」として作られていて、むしろ「どういう解き方を選ぶか」ということに主眼が置かれているのではないかと思います。

先ほどの例でいえば「12ページの問1を解くためには、微分してイコールゼロとおいてみよう」と思いつく部分です。気象予報士試験でいえば「問題を解くために状態方程式を立てるのか、静水圧平衡の式を考えるのか、はたまた・・・」と考える部分です。

そこを意識せずに、

解けなかった

答えを見たら状態方程式だった

状態方程式を立ててみたら解けた

という練習を繰り返してしまうと、肝心の「なぜこの問題で状態方程式を使うのか」という部分が身につかないわけです。このような練習には意味がないと言えるでしょう。そもそも「状態方程式を立ててみたら解ける」のは当たり前なのです。なぜなら計算のレベルは最終的には四則演算という小学生レベルにまで落ちるからです。

手を動かすことは大切だけど

勉強においては「手を動かすこと」が重視される風潮があると思いますし、ハルも基本的には賛成です。賛成の理由を書き始めるとまた長くなりますので今回は書きませんが。

ですが、例えば次の投稿のような手の動かし方はどうなのでしょう。

これはですね・・・。いくつか工夫の余地があるのではないかなと思いました。

例えば「Al」が「アルミニウム」を表す記号であるということが認識できているのかどうか。ノートを見る限りでは「Al」という文字(文字列?)を何度も書いているだけで、「アルミニウム」とのつながりがよく分かりません。もしかすると口で「アルミニウム」と言いながら手は「Al」と書いているのかもしれませんが。

また「2H2 + O2 → 2H2O」という化学反応式の左辺と右辺で原子の個数が一致していることを理解しているかどうか。というか、理解していれば書いて練習する必要はないと思うのですが・・・。

このあたりの感覚はなかなか表現しづらい部分もあるのですが、このような手の動かし方をして高校生になって、そのままのスタイルで勉強を続けると恐らく失敗してしまうのではないかとちょっと心配です。どことなく「覚えるべき場所」に対する感覚がずれているように感じるんですよね。

頭が正しく動くような作業をしよう

なかなかうまく書き切れていませんが、勉強というのはノートに何かを書いたり文字を読んだりする「作業」ではありますが、その作業を通じて頭が正しく動かなければならないと思います。その大原則を忘れないようにしたいものです。

頭が動いているかどうかは結局は自分にしか分からないのかもしれません。以前「一流の記憶法」という本を読んだとき、記憶する過程の中で「想起する」というプロセスが何度も出てきたことに驚きました。「想起しているかどうか」は本人にしか分からないので、そういうことを学習プロセスの中に含めてしまっていいのかと驚いたんですね。

本書の中では何度も具体例を挙げたり言葉を換えたりしながら「想起する」ということについて繰り返し触れられていたように記憶していますが、つまりそれほど頭の中の活動を「作業」として取り出すことは難しいということなのかなと思います。

気象予報士試験や高校以降の数学・理科の問題は、問題を読んで「何を問われているのか」を理解し、適切な解き方を選び(探索空間を狭めて解き方を1つに決める)、計算を実施する・・・ということの繰り返しになります。その種の勉強においては「解き方を選ぶ部分」が一番大切なのだということをまずは意識して勉強に臨みたいですね。

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